和訓

和訓 #

ここでは、まず、略称を用いる参考文献とその他の参考文献をあげる。 次に、和訓の同定に関して、若干の例をあげて解説する。

参考文献 #

略称を用いる参考文献 #

和訓は、その語形の認定に関して次の索引類は必ず参照すべきものである。 これらは頻用するので、略称を用いて示す。

  • 正宗索引 正宗敦夫編『類聚名義抄 第二巻 漢字索引仮名索引』風間書房、1955
  • 望月和訓集成 望月郁子編『類聚名義抄:四種声点付和訓集成』(笠間索引叢刊44)笠間書院、1974
  • 草川和訓集成 草川昇編『五本対照類聚名義抄和訓集成』汲古書院、2000
  • 中村文選 中村宗彦『九条本文選古訓集』風間書房、1983

次の著作にも、本文の解読に参考となる記述が多い。これらも 頻用するので、略称を用いて示す。

  • 岡田研究 岡田希雄『類聚名義抄の研究』一条書房、1944
  • 小松論考 小松英雄『日本声調史論考』風間書房、1971
  • 望月研究 望月郁子『類聚名義抄の文献学的研究』笠間書院、1992
  • 築島著作集三 築島裕『築島裕著作集 第三巻 古辞書と音義』汲古書院、2016
  • 吉田国語 吉田金彦『古辞書と国語』臨川書店、2013

同様に、略称を用いる論文を次に示す。

  • 西端誤写考察 西端幸雄「類聚名義抄における誤写の考察」『訓点語と訓点資料』45、37-54頁、1971
  • 西端誤写諸例 西端幸雄「類聚名義抄における誤写の諸例」『訓点語と訓点資料』52、31-71頁、1973

小林恭治による西念寺本に関する論考は数が多いので、小林恭治「観智院本から見た項目の有無」 のように、氏名とタイトルを簡略に示す。★を付したものは未確認のものである。

  • 観智院本から見た項目の有無 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―観智院本から見た項目の有無について―」『鶴見大学仏教文化研究所紀要』5、47–66頁、2000年
  • 観智院本にない項目 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―観智院本にない項目について―」『鶴見大学紀要 第1部 国語国文学編』38、197–217頁、2001年、★
  • 標出漢字の有無 小林恭治「西念寺本類聚名義抄の増補と脱漏―観智院本との比較による標出漢字の有無について―」『鶴見大学仏教文化研究所紀要』6、39–66頁、2001年
  • 西念寺本にない漢字注記 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏–西念寺本にない漢字注記について–」『鶴見大学紀要 第1部 国語国文学編』39、61-90頁、2002年
  • 観智院本にない漢字注記(1) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―観智院本にない漢字注記について―(一)」『鶴見大学仏教文化研究所紀要』7、17-34頁、2002年
  • 観智院本にない漢字注記(2) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―観智院本にない漢字注記について―(二)」『鶴見大学紀要 第1部 国語国文学編』40、91–110頁、2003年
  • 観智院本にない漢字注記(3) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―観智院本にない漢字注記について―(二)」『鶴見大学仏教文化研究所紀要』8、27–55頁、2003年
  • 西念寺本にないカタカナ注記(1) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―西念寺本にないカタカナ注記について―(一)」『鶴見大学紀要第1部 日本語・日本文学編』41、1–25頁、2004年
  • 西念寺本にないカタカナ注記(2) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―西念寺本にないカタカナ注記について―(二)」『鶴見大学仏教文化研究所紀要』9、69–97頁、2004年
  • 西念寺本にないカタカナ注記(3) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―西念寺本にないカタカナ注記について―(三)」『鶴見大学紀要第1部 日本語・日本文学編』42、1-23頁、2005年
  • 西念寺本にないカタカナ注記(4) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―西念寺本にないカタカナ注記について―(四)」『鶴見大学仏教文化研究所紀要』10、147–164頁、2005年
  • 西念寺本にないカタカナ注記(5) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―西念寺本にないカタカナ注記について―(五)」『鶴見大学紀要 第1部 国語国文学編』43、1–22頁、2006年
  • 観智院本にないカタカナ注記(1) 小林恭治「『西念寺本類聚名義抄』における増補と脱漏―観智院本にないカタカナ注記について―(一)」『鶴見大学仏教文化研究所紀要』11、141–158頁、2006年
  • 観智院本にないカタカナ注記(2) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―観智院本にないカタカナ注記について―(二)」『鶴見大学紀要第1部 日本語・日本文学編』44、325–351頁、2007年
  • 観智院本にないカタカナ注記(3) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―観智院本にないカタカナ注記について―(三)」『鶴見大学仏教文化研究所紀要』12、43–65頁、2007年
  • 観智院本にないカタカナ注記(4) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―観智院本にないカタカナ注記について―(四)」『鶴見大学紀要 第1部 日本語・日本文学編』45、19–35頁、2008年
  • 観智院本にないカタカナ注記(5) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―観智院本にないカタカナ注記について―(五)」『鶴見大学仏教文化研究所紀要』13、43–61頁、2008年
  • 観智院本にないカタカナ注記(6) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―観智院本にないカタカナ注記について―(六)」『鶴見大学紀要 第1部 日本語・日本文学編』46、1–28頁、2009年
  • 観智院本にないカタカナ注記(7) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―観智院本にないカタカナ注記について―(七)」『鶴見大学仏教文化研究所紀要』14、39–73頁、2009年
  • 異本注記の有無について(1) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―異本注記の有無について―(一)」『鶴見大学紀要第1部 日本語・日本文学編』47、31–52頁、2010年
  • 異本注記の有無について(2) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―異本注記の有無について―(二)」『鶴見大学仏教文化研究所紀』15、37–60頁、2010年
  • 異本注記の有無について(3) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―異本注記の有無について―(三)」『鶴見大学紀要第1部 日本語・日本文学編』48、1–27頁、2011年
  • 異本注記の有無について(4) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―異本注記の有無について―(四)」『鶴見大学紀要第4部 人文・社会・自然科学編』48、127–136頁、2011年
  • 異本注記の有無について(5) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―異本注記の有無について―(五)」『鶴見大学紀要第1部 日本語・日本文学編』49、1–20頁、2012年
  • 異本注記の有無について(6) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―異本注記の有無について―(六)」『鶴見大学紀要第4部 人文・社会・自然科学編』49、159–166頁、2012年
  • 異本注記の有無について(7) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―異本注記の有無について―(七)」『鶴見大学紀要第1部 日本語・日本文学編』50、1–23頁、2013年
  • 異本注記の有無について(8) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―異本注記の有無について―(八)」『鶴見大学紀要第4部 人文・社会・自然科学編』50、126–138頁、2013年
  • 異本注記の有無について(9) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―異本注記の有無について―(九)」『鶴見大学紀要第4部 人文・社会・自然科学編』51、87–98頁、2014年
  • 異本注記の有無について(10) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―異本注記の有無について―(十)」『鶴見大学紀要第4部 人文・社会・自然科学編』52、123–134頁、2015年
  • 異本注記の有無について(11) 小林恭治「西念寺本類聚名義抄における増補と脱漏―異本注記の有無について―(十一)」『鶴見大学紀要第4部 人文・社会・自然科学編』53、110–120頁、2016年

略称を用いない参考文献 #

次は略称を用いず、著者名、タイトル、掲載誌名、巻号、刊行年を示す。 注釈で参照する際には、副題は省略することがある。★を付したものは未確認のものである。 図書寮本の和訓に関する論考も観智院本の読解に参考となるので、掲げている。

  • 築島裕「類聚名義抄の倭訓の源流について」『国語と国文学』27(7)、1950年
  • 中田祝夫「類聚名義抄使用者のために」『類聚名義抄』風間書房、1955年
  • 門前正彦「漢文訓読史上の一問題(四)―「并」字の訓について」『訓点語と訓点資料』14、83-94頁、1960年
  • 築島裕『平安時代の漢文訓読語につきての研究』東京大学出版会、1963年
  • こまつひでお「語調史料としての類聚名義抄―図書寮本および観智院本にみえる和訓の声点の均質性の検討」『東京教育大学文学部紀要』47、1-37頁、1964年
  • 門前正彦「漢文訓読史上の一問題(五)―「欲」字の訓について―」『訓点語と訓点資料』25、111-120頁、1963年
  • 小林芳規『平安鎌倉時代に於ける漢籍訓読の国語史的研究』東京大学出版会、1967年
  • 秋永一枝「馬淵和夫著「和名類聚抄古写本声点本本文および索引」,望月郁子編「類聚名義抄四種声点付和訓集成」」『国語学』99、81-85頁、1974年、★
  • 望月郁子「声点の声調認定の方法―「類聚名義抄」の第二類動詞終止形語末のかなの声点を中心に」『国語学』102、31-49頁、1975年、★
  • 犬飼隆「古代語の「濁」拍について : 観智院本類聚名義抄の複声点付和訓を中心に」『学習院女子短期大学紀要』15、1-30頁、1977年、★
  • 犬飼守薫「『類聚名義抄』―観智院本と蓮成院本と―の「雑」部の比較対象(上)」『椙山女学園大学研究論集』8(2)、 1977年、★
  • 犬飼守薫「『類聚名義抄』―観智院本と蓮成院本と―の「雑」部の比較対象(中)」『椙山女学園大学研究論集』9(2)、 1978年、★
  • 松本光隆「書陵部蔵医心方・成簣堂文庫蔵医心方における付訓の基盤―和名類聚抄・本草和名との比較を通して―」『鎌倉時代語研究』3、 133–154頁、1980年
  • 犬飼守薫「『類聚名義抄』―観智院本と蓮成院本と―の「雑」部の比較対象(下)」『椙山女学園大学研究論集』13(2)、 1981年、★
  • 高瀬正一「和訓よりみた「新撰字鏡」と「観智院本類聚名義抄」について」『語文研究』44、103-114頁、1978年
  • 風間力三「類聚名義抄の文選読」『甲南大学紀要文学編』36、1980年、★
  • 山本秀人「改編本類聚名義抄における文選訓の増補について」『国文学攷』105、1985年
  • 山本秀人「蓮成院本類聚名義抄の成立について―異質な本文を有する部分の存在とその素性―」『鎌倉時代語研究』8、134-159頁、1985
  • 山本秀人「改編本類聚名義抄における新撰字鏡を出典とする和訓の増補について―熟字訓を対象として―」『国語学』144、1986
  • 山本秀人「類聚名義抄における和名類聚抄を出典とする和訓の摂取法について―原撰本編纂、改編、改編後の増補、の三段階に着目して―」『広島大学文学部紀要』47、1988年
  • 山本真吾「慶応義塾図書館蔵『性霊集略注』出典攷―類聚名義抄からの引用を中心として―」『鎌倉時代語研究』14、47-49頁、1991年
  • 添田建治郎「図書寮本類聚名義抄に見られる「重複差声」の意義について」『山口国文』15、86-99頁、1992年
  • 草川昇「類聚名義抄和訓小考」『日本語論究2 古典日本語と辞書』、和泉書院、23-49頁、1992年
  • 河野敏宏「観智院本『類聚名義抄』所引の『本草和名』について」『日本語論究2 古典日本語と辞書』、和泉書院、69-85頁、1992年
  • 石井行雄『七帖字書』考『語学文学』31、15–22頁、1993年
  • 蔵中進『則天文字の研究』翰林書房、1995年
  • 石井行雄「『顕縁抄』所引字書逸文類聚」『語学文学』37、11-18頁、1999年
  • 呉美寧「図書寮本類聚名義抄における論語の和訓について」『国語国文研究』 116、35-48頁、2000年
  • 山本秀人「改編本類聚名義抄における増補された和訓の色葉字類抄との関係について」『高知大国文』31、1-20頁、2000年
  • 山本秀人「類聚名義抄における史記の訓の採録について―図書寮本における不採録の訓を中心に—」『鎌倉時代語研究』23、武蔵野書院、466-491頁、2000年
  • 山本秀人「図書寮本類聚名義抄における出典無表示の和訓について―国書の訓との関わりを中心に―」『高知大国文』32、48-72頁、2001年
  • 築島裕「静嘉堂文庫蔵本毛詩鄭箋古点解説」『毛詩鄭箋(三)』(古典研究会叢書漢籍之部3)汲古書院、2004年
  • 高橋宏幸「『図書寮本類聚名義抄』所引「月令・月」の和訓について」『国文学論考』40、72-80頁、2004年
  • 高橋宏幸「『図書寮本類聚名義抄』所引「律」をめぐって―附、「允亮抄」」『国文学論考』41、58-69頁2005年
  • 高橋宏幸「『図書寮本類聚名義抄』所引『古文孝経』の和訓について」『国文学論考』42、14-21頁、2006年
  • 高橋宏幸「『図書寮本類聚名義抄』所引「顔氏家訓」の和訓について」『国文学論考』43、15-26頁、2007年
  • 山本秀人「改編本類聚名義抄における「東人云」について(上)–新撰字鏡との関連を中心に–」『国語語彙史の研究 三十』和泉書院、145-157頁、2011年
  • 小林恭治「改編本系類聚名義抄における「過」項目の注記配列について」『訓点語と訓点資料』127、120-131頁、2011年
  • 近藤泰弘「平安時代の漢文訓読語の分類」『訓点語と訓点資料』127、90-103頁、2011年
  • 山本秀人「改編本類聚名義抄における「東人云」について(下)–語としての性格・意味の探求–」『国語語彙史の研究 三十一』和泉書院、169-194頁、2012年
  • 平子達也「平安時代京都方言における下降調に関する試論 : 観智院本『類聚名義抄』に見られる平声軽点の粗雑な写しを手がかりにして」『日本語の研究』9(1)、1-15頁、2013年、★
  • 山本秀人「『三宝類字集 高山寺本』解題」『新天理図書館善本叢書 第8巻 三宝類字集 高山寺本』八木書店、2016年
  • 加藤浩司「観智院本類聚名義抄の人字和訓ワレと僧字和訓ヤハラグ・ネンコロおよび僧字の成立について」『都留文科大學研究紀要』85、45-58頁、2017年
  • 佐藤栄作「カタカナの字体から見た声点とその位置 : 図書寮本『類聚名義抄』,観智院本『類聚名義抄』の書写者と声点」『論集』13、23-40頁、2017年、★
  • 萩原義雄「観智院本『類聚名義抄』和訓語彙から垣間見たことばの運行」『駒澤日本文化』13、1-69頁、2019年

和訓の同定 #

和訓と仮名音注との区別が問題となる例 #

K0103261    ⿰亻㔾	⿰亻已	氾音 ハム	

草川和訓集成に「ハム」として採録するが、和訓ではなく仮名音注である。

掲出字は原文に「⿰亻已」とあり、旁を「已」とするが、同音字注は「氾音」とある。 この「氾」は「符咸切」(平声凡韻、凡)、「孚梵切」(去声梵韻、汎)の二音があり、 仮名音注「ハム」を記載したとするのがよいであろう。 とすると、掲出字「⿰亻已」は「⿰亻㔾」とありたいところである。 Unicodeで、「⿰亻㔾」は、U+2CF62 (𬽢)、「⿰亻巳」はU+3436(㐶)にあるが、 「⿰亻已」は確認できない。

漢字の誤写を仮名とする例 #

K0601141    砂  〇	音沙「サ」 イサコ(HH@) 丆(一云)スナコ(LLL) 俗沙

問題となるのは「丆(一云)スナコ(LLL)」とした部分である。

正宗索引草川和訓集成は「マスナコ」で採録するが、 望月和訓集成は「スナコ」で採録している。どちらが正しいのであろうか。

「砂」は、図書寮本に「順云和ー以佐古イサコ一云須奈古スナコ」 とあって「順」すなわち源順の和名抄を典拠とする。 道円本和名抄には「砂 和名以左古又須奈古」(巻1地部)とある。 そうすると、観智院本の原文に「丆」とあるのは、片仮名「マ」ではなく、 「一云」を誤写したものである。 望月和訓集成のように「スナコ」で採録するのが妥当である。

もうひとつ例をあげよう。

F05881  腊  〇	キタヒ-フ(HHH-@) 久也 キタヒモフ(HHH@@) [音]昔 小牜全干也

正宗索引草川和訓集成は、注文末尾の「小牜全干也」を和訓と解釈している。しかし、これは漢文義注とするのがよい。

まずの「小牜」について、 正宗索引は「小(し)牜」(小はホの異体)に「シの字脱か」とし、 草川和訓集成は「ホモノ(ホシモノ?)」で立項し、「小牜」と翻字し、備考に「ヒモノ?」とする。 また、草川和訓索引の「ヒモノ」に「小牜」としママを付す。

次に「全干也」について、 正宗索引草川和訓集成は「人モ」「テヽ」で採録している。

しかし、「小牜全干也」は和訓ではなく、漢文義注である。 周礼・天官「凡田獸之脯腊」の注に「腊、小物全乾者」(康煕字典による)ある。 観智院本「小牜」は漢字「小物」で問題ない。「全干也」の部分を漢字とすると 「干」と「乾」との相違がある。「干」は広韻「古寒切」(平声寒韻)であり、「乾」と 同音で、この二字は通用する。

さて、観智院本の「小牜全干也」は、周礼を直接的に参照したのだろうか、 それとも間接的な参照なのであろうか。間接的な参照とすれば、 玄応の一切経音義か、顧野王の原本玉篇が予想される。原本玉篇の残巻と 逸文は存しないので、 万象名義と宋本玉篇を参照することにして、この二書に 「腊」を求めてみると次を見出す。参考に広韻の本文もあげる。

腊  胥亦反。久也、小物全干也。(万象名義、2帖66裏)
腊  思亦切。乾肉也。《周禮》:腊人掌乾肉。(宋本玉篇、上71表)
腊  乾肉見經典(広韻・入声昔韻、昔:思積切)

これらを見比べると、観智院本の「小牜全干也」は万象名義の「小物全干也」に一致しており、 原撰本名義抄で万象名義を引いていたものか、 改編本名義抄で万象名義を増補したのかは不明であるが、万象名義に由来することは 確かと考えられる。

ちなみに、玄応の一切経音義には次のように見える。徐時儀の校訂本による。

脯腊    胥亦反。 [註: 胥亦反《磧》爲‘思亦反’。] 《周禮》:脯腊。鄭玄曰:乾肉薄析之曰脯,小物全乾曰腊。腊猶昔,謂久昔也。(卷第十二雜阿含經第十九卷)

ここには「小物全乾曰腊」とあって「乾」と「干」との相違がある。

(要確認)周礼 天官冢宰: 臘人:掌乾肉,凡田獸之脯、臘、膴、肸之事。凡祭祀,共豆脯、薦脯、膴、肸,凡臘物。賓客、喪紀,共其脯、臘,凡乾肉之事。