字体注

字体注 #

ここでは、「正」「通」「俗」などの注記の種類と これらの注記と注記対象字との記載状況を解説する。 また、「滴」を例にして記載内容の検討を行い、 どのように注釈を作成すればよいかを考える材料とする。

字級と記載形式 #

李景遠1により、「正」「通」「俗」などの注記を「字級」と呼ぶ。

字体注の記載形式と字級の種類については、張馨方2による調査がある。 そこでは6種の記載形式と7種の字級とに絞って、 出現状況を整理している。

ここでは観智院本で調査した数値を紹介してみよう。調査範囲は図書寮本・蓮成院本に共通する 水部、冫部、言部である。

改編本類聚名義抄において、注文中の漢字字体はその記載形式により次の6種に 分ける。○は漢字字体、★は字級を示す。

  1. ○★
  2. ★○
  3. ★為○
  4. ★作○
  5. ★○字
  6. ★為○字

字級は次の7種類あるとする。

  1. 俗通

観智院本の記載状況(水冫言) #

観智院本の水部、冫部、言部の範囲について、 注文中の漢字字体の記載状況をまとめると次の表のようになる。 分類と数値は張馨方の調査による。

記載形式 字級 用例
○★ ○正 17
○俗 8
○今 2
○或 25
○古 2
○俗通 1
小計 55
★○ 正○ 2
俗○ 8
或○ 1
古○ 1
小計 12
★為○ 或為○ 1
小計 1
★作○ 或作○ 1
小計 1
★○字 正○字 11
俗○字 149
通○字 2
今○字 2
或○字 25
古○字 4
俗通○字 1
小計 194
★為○字 今為○字 1
小計 1
合計

「滴」とその関連項目 #

観智院本の 「滴」の記載 #

張馨方が例としてあげる 「滴」(観智院本法上23)をとりあげて、記載形式と字級のありようを検討してみよう。 字体注記は太字とする。

滴 𤁷二正 𣾪 渧 滳二俗 渧俗滳字

張馨方は簡略化して記載しているので、次には注文の全体をあげておこう。適宜改行を入れ、番号を付した。

  1. 滴𤁷二正 丁狄反 シタヽル(LL@@) 音的 アマツヒ
  2. 𣾪
  3. 渧滳二俗
  4. 滳音商 阿懸名
  5. 渧音帝 音テイ(LH) シタヽル(LLL"L) アマツヒ 水ツミ 又都歴反 俗滳字

1、2、3はいずれも「○★」の記載形式である。1は音注「丁狄反」と和訓「シタヽル」から考えて、滴であろう。「滴」は 万象名義と新撰字鏡でも滴の字形としている。 CHISEの検索 で確認できる。「滴」はHNGに収録されていないが、「啇」を漢字の構成要素に持つ「適」は、 日本写本(弥勒上生、院政大教、仏説大教)では「啇」の部分を「商」の字形としている。

一方、4は1の滴と同じ字形だが、注文に「音商 阿懸名」とあり、「滳」と考えられる。

1は虫損があり、判読に難があるが、正宗索引は1の滴、3の滳、4の滳を、同じ字形に判読している。

蓮成院本の 「滴」の記載 #

観智院本以外の改編本において、この箇所が残るのは蓮成院本であるが、そこには次のように見えている(中一12裏)。

  1. 滴𤁷二正 丁狄反 シタヽル(LL@@) アマツヒ 音的
  2. 𣾪
  3. 渧滳二俗
  4. 滳音商 阿懸名
  5. 渧音帝 音テイ(LL) アマツヒ シタヽル(LLL"L) 水ツミ 又都歴反 俗滳字

1の𤁷のしんにょう(辶)は原文で1点であるが、作字の都合で2点となっている。

蓮成院本では、観智院本で同一字形であった1、3、4の滴をそれぞれ滴滳滳と区別している。

蓮成院本の記載内容が観智院本よりも整っており、合理的な内容となっている。 ただ、蓮成院本のような記載内容が崩れて観智院本のようになったのか、観智院本の記載内容に矛盾があるのでそれを正して蓮成院本になったのか、この例だけで判断するのは難しい。類例を集めて検討する必要があろう。

なお、注文では、1の記載順序に相違がある。ただし、観智院本は3行書きの注文となっていて不審である。本来は2行書きであり、「音的」が注文末にあったと推測される。蓮成院本はこの箇所を3行書きとしているが、和訓の後の注文末に「音的」があって通例にかなっている。

龍龕手鏡の 「滴」の記載 #

龍龕手鏡(鑑)では、水部は巻二に収録され、高麗本を欠くが、宋本に「滴」は次のように見える(巻二水部第三・入声)。

  1. 渧
  2. 𤁷
  3. 滴𣾪二正音的水ー也四

この3項目は「滴」に関連した内容である。 改編本と比べると記載の順序と字級に相違がある。 改編本は、「二正」–>「或」–>「二俗」の順序で、「二正」が 最初にあるが、 龍龕手鑑は、「俗」–>「今」–>「二正」の順序で、「二正」が最後にある。 字級を見ると、渧を「俗」、 滴を「正」とする点は一致するが、 改編本は𤁷を「正」、龍龕手鑑は近似する字形の𤁷を「今」としている。また、 𣾪を改編本は「或」、龍龕手鑑は「正」とする相違がある。

一方、「滳」は別の箇所に見えている(巻二水部第三・平声)

滳音商ー河縣名又都歴反

「滳」に同音字注「音商」、意義注「ー河縣名」、又音の反切「又都歴反」を記載する。 意義注に「ー河縣名」とあるのは「滳河」は「縣名」であるという意味である。 隋書に「滳河開皇十六年置」とあり、開皇十六年(596)に設置された県名である。 現在の山東省済南市に位置する商河県である。 改編本の「阿懸名」は文意通らず不審であったが、「阿」は「河」の誤写としてよいであろう。 「滳河、縣名」と区切って理解すべきなのを「滳、河縣名」と区切って理解したために 生じた誤りと考えられる。 それはともかく、県名(地名)の「滳河」として用いる時は「音商」であり、 それとは別に「又都歴反」の音があるという説明である。 「滴」は広韻に「水滴也,亦作𤁷」(入声錫韻)、的:都歴切)とあり、 「又都歴反」は「滴」に対応することを知る。つまり、 「滳」は県名(地名)「滳河」では「音商」であるが、 「都歴反」の「滴」に通用して用いられることを示している。

「滴」とその関連項目は、原撰本たる図書寮本に詳細な記載があり、種々検討すべきであるが、 ひとまずここまでとしておく。


  1. 李景遠『隋唐字様學研究』國立臺灣師範大學國文研究所博士論文、1997 ↩︎

  2. 張馨方「注文中の漢字字体の記載からみた改編本系『類聚名義抄』」『北海道大学大学院文学研究科研究論集』17 、2017 ↩︎